Jamais vu

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自分を受け入れる方法3選。これで楽になる!自分と仲良くなる方法。

      2017/03/15

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自分を受け入れる。ここ数年でよく聞くようになった言葉だ。

「自分を受け入れよう」と言っておくとなんだかかっこいい。その言葉を聞くと耳心地がよく、なんだかその通りだと思いたくなるところがある。

ただ、自分を受け入れるってなんなのだろう?それをただニュアンスとして受けとって、そのままにしておいていいのだろうか。

その中身を具体的に考えて、そのうえで、自分を受け入れる方法について書きたい。

自分を受け入れられないとは?

まず、なぜ自分を「受け入れる」ことができなくなってしまうのだろう。

自分を受け入れていない。自分を拒絶している。そういう状態とはどんなものだろう。

それにはまず「自分」とはなにかについて共通認識をつくっておく必要がある。

①「自分」とはなにか

をみてそれから

②「自分を拒絶する」とはなにか

についてみてみよう。

自分とはなにか

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自分とはなんだろうか。自分とはその「心」と「身体」だとぼくは思う。

当たり前のことを言っているかもしれない。ただ、その当たり前を考えるのが、学問であり、ぼくの仕事だと思っている。

自分の公式

自分=心+身体+α

αは人がまだ発見できていない人のなかにある未知の領域だ。未知の可能性をαと書いておいた。ここで書けるのはα以外の部分だ。

身体というのはそのままだ。身体とはその「モノに触れることのできるその身体」だ。皮膚・爪・内蔵・髪の毛・骨・脳・筋肉。そういうものたちのこと。

心とはなにか

では心とは?

心はすこし難しい。目に見えないし、触ることもできない。とらえにくいところがある。

これはあくまでぼくの考えだけど、心とは個人の言語システムと身体感覚が合わさったものだと思う。

心=言語システム+身体感覚

言語のつながり方

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小難しく「個人の言語システム」と書いてしまった。その中身について書いてみる。

人間は多様な言語をもっている。日本語・英語・フランス語・ピダハン語・アイヌ語、プログラミング言語だってそうだ。絶滅寸前の言語が多いとはいっても、人間全体で言えばまだ言語の種類は何百とある。

ただそれとは別に、ぼくは個人がべつべつに言語体系を頭につくっていると考える。

日本語の話者どうしでも、たとえば「えんどう豆」という言葉のあとにつなげる言葉は異なるし、「気持ちいい」という言葉のあとにつなげる言葉は違うだろう。

言葉と言葉のつらなりかたが、個人によって違うのだ。

その言葉どうしのつらなりが、人の考えをつくる。さらにそこから発展して、行動、感情などに影響していく。

そのことを「言語システム」と書いた。「言語のつながりかた」のことだ。

身体感覚

心を構成するもう1つの要素に目をむけてみよう。身体感覚。

赤を赤として見たり、ザラザラを感じたり、甘く感じたり、なんだか憂鬱に感じたり、嬉しく感じたり、身体を重く感じたりする、そんなようなことだ。

身体感覚は【身体】の側にいれても良いような横断的なものなのだけど、今回は目に見えず触れないということで、「身体感覚」は心に含んだ。

ただ、身体-感覚と書いているように、心なのか身体なのかひじょうに曖昧なものだ。嬉しいという感覚は、身体にあらわれて感じられるものだし、それ以外だってそうだ。

身体がなければ、感覚はない。言語だけになってしまう。

果たしてそのとき言語が指すものはあるのだろうか。

自分の公式-完全版

というわけで、

自分=身体+(身体感覚+言語のつらなり方)+α

ぼくは自分をこのように捉える。自分とは、物理的身体と身体感覚と言語システムが組み合ったものだ。

それを【意識という機能】が、「1人の自分」として束ねている。

自分を拒絶するとは

では本線にもどろう。「自分を拒絶する」とはなんだろう?

それはこの式で言えば、

自分=身体+(身体感覚+言語システム)

A.自分はこの身体ではない
B.自分はこの身体感覚ではない
C.自分はこの言語システムではない

D.3つの組み合わせ。

この4種類のどれかのことを自分を拒絶すると呼ぶ。

自分を受け入れる方法

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だいぶ数学的に書いてきてしまった。読者をかなり選ぶ記事になってしまったかもしれない。

「自分を受け入れる」には前提として、『自分の中のなにかを拒絶している』必要がある。

その拒絶している部分を発見して、「ここにずっといたんだな」と言ってあげれば、自分をすこしずつ受け入れていくことができる。

・身体感覚
・言語のつらなり方
・身体

この3つを受け入れていく方法について考えよう。

身体感覚

自分が感じていることを拒絶していると、その場にいるのがつらいものになる。

たとえば、つまらないなと感じながら話をしているとする。そのときにつまらないと感じているその感じをいけないものだと無視すると、出てきているものを押し戻していることになる。

それは自分を受け入れていないということだ。

その感じたものは、感じたものであって、悪いものではない。だから、それを認めることで、自分を一歩ずつ受け入れていける。

ただ注意した方がいいのは、「つまらない感じ」を受け入れることと、「つまらない感じ」を表してしまうことは違うということだ。

受け入れるからといって、それを全部表現したらうまくいくかというと、そういうわけではないのが難しいところかもしれない。でも、そういう匙加減がコミュニケーションの面白いところでもある。

言語のつらなり方

身体感覚の受け入れ方と似ているけれど、違うのは、言語システムは、身体感覚よりも、もうすこし強くパターン化されているということだ。

人には考え方というものがある。なにか特定のことを言われると、「それは違う!」と思ってしまうとか、「まあそれでいいよ」と言ってしまったりとか。

そういう考えや行動の癖のようなものは、どこかで自覚していながらも、なかなか変えにくいものだ。もしそういう部分を受け入れられたら、楽になれるかもしれない。

ただ、それは個性であるかもしれないから、無理に変える必要もないとぼくは思う。

身体-見た目

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では身体を受け入れるとはなんだろう。身体を受け入れられないとき一番多いのは見た目に関することかもしれない。

こんな顔じゃない。こんな目じゃない。こんなお腹じゃない。こんな髪の毛じゃない。

それを見つめることは、つらいことだ。つらいことをを無理にしろと言いたいわけではない。

ただ、どこかで「自分を受け入れる」必要があると感じるなら、一度ゆっくり自分を見てみるのがいい。自分を鏡で見るのは難しい。いつも、見ているようで、自分をそのままには見れていない。

それは誰でも多かれ少なかれ一緒だ。ただ、他の人が見ている自分と、自分が見ている自分の距離が大きすぎると、自分がつらくなるかもしれない。

身体-病

もう1つ身体に関してあるとすれば、それは病だ。

病気というのは、ぼくは絶対的なものとしてはないと考えているので、あまり病気と呼びたくない。

病気というのは、人間の誰しももっているものが、過剰になっているか、過小になっているか、だけのことだと考えるからだ。

まあでもここでは便宜上、病気と書く。

認めるのが難しい病気というのはある。たとえば、ぼくの場合だったら、顔面神経麻痺になったときに、なかなかそれをしっかり認められなかった。

それははじめ、現実感のないものとしてそこにあった。ある時点で、自分は顔面神経麻痺なんだと思ったときから、治癒が始まったような気がする。

自分や家族が受け入れにくい病は、精神的な疾患に多いかもしれない。ただ、ぼくはそれを本当に見つめるべきなのかどうかわからない。そういう場合はお医者さんに相談してください。

自分の過剰さや過小さを自覚できるようになると、自分を受け入れられる方向に進むことができる。

自分を受け入れる

自分を受け入れるというのは、すごく難しいことだ。

なぜなら、自分で自分に、見せないようにしている部分に、目をむけなければならないから。

自分で見せないようにしているものを、どのようにして自分がみるのだろう。

そこに難しさがある。でも上記のようなパターンを自覚しておくと、「あ、いま拒絶したな」とか「無視してる」というのを気づく瞬間が必ずくる。

そのときにつかめなくても、またつぎの機会にきっとつかめるだろう。

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