Jamais vu

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失敗から学ぶコツ!失敗をうまく糧にする方法。

   

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失敗から学ぶ。失敗することで成長する。よくそう言われる。ほんとうにそうだろうか?

そう言われても、やっぱり失敗はしたくない。成長するからといって失敗しようとして行動するのか?というとそんな人はいない。

「失敗から学ぶ」とはどういう意味だろう?失敗とはなにか/学ぶとはなにかについて考えていく中で、失敗の捉えかたや人の成長について見直してみたい。

失敗とはなにか

失敗とはなんだろう。失敗というのは、自分が意識的にか無意識的にか「こうなるはず」と予想していた結果が得られなかったときにあらわれる。

自分は「うまく仕事をしている」と思っていたのに、変なところで間違いをおかしていたとか。「受かる」と思っていたのに受からなかったとか。「こんな味になる」と期待していたのに全然美味しくなかったとか。

なにかの計画や期待が外れるとき「失敗」は生まれる。

ということは、計画や期待がなければ「失敗」はないということだ。たしかに、間違ってもしかたないと思って仕事をしていたら、間違いを指摘されても失敗だとは感じないだろう。「受かっても受からなくてもどっちでもいいや」と思っていれば、試験に落ちても、その本人にとっては失敗とは感じないかもしれない。もしかしたら試験の場合は、それを観ている周りは失敗と感じるかもしれないけれど。

こんなふうに「計画」や「期待」や「思惑」があるとき、そこに「失敗」の可能性が出現する。

失敗が生まれる瞬間

結局失敗とはなんなのだろう?

それはある出来事への人の評価だ。出来事は、はじめから評価付きでそこにあるわけではない。

出来事は出来事として、「○○が起こった」「××発生」というようにあらわれる。

それを評価するのは人なのだ。半年ほど前に、仏教の師範のような人にお会いする機会があった。その人は周りの人たちから老師と呼ばれていた。

老師は仏教では「起こったことを良い/悪いと判断するのは人で、その判断が人を苦しめる。」という主旨のことを話していた。

失敗は出来事ではなく判断

ぼくはそこまでは言わない。出来事を失敗と捉えることも、失敗と感じて落ち込むことも、必要なことだし、むしろそう感じるべき場面も多いと考える。仲間がいるところで失敗したら「ごめん」とか「すみません」と思うのが人間としての感情だと思う。

ただ、このような知覚や思考のメカニズムで、「失敗」が人々の頭に生まれているということは知っておくといい。

出来事は出来事でしかなく、人の価値判断がそこに「失敗」というラベルを貼る。

「失敗」というラベル付けをしてはいけないと書きたいわけではない。失敗は「判断結果」だ、ということを知っていると、失敗した出来事から早く自分のためになるものを抽出できたり、失敗したときにいつもより落ち着いて対処できたりする。

失敗から学ぶコツ

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では失敗が起きたとき、どのようにしたら良く学べるだろう。どんなことを学べるだろう。そのことをここから見ていこう。

縮こまると進みにくい

失敗すると、とくにそれが大きなものだと人は身体を縮こませる。「やばい!」と思うからだ。昔動物だったころの記憶がよみがえるのかもしれない。危険だ!と感じたら動物も身体を縮こませて、停止する。

誰だって失敗したら、とくにそれが仕事であれば、申し訳なさを感じるし、怒られると感じるかもしれない。その時、身体が緊張するのは当然のことだ。

それが悪いわけではない。ただ、学びはその緊張がほぐれていく過程に訪れる。だから、自分の緊張に気付き、ゆっくりとそれを解いていく作業の中に学びがあるとも言える。

失敗した人を見ていると、その後ずっと身体が緊張している、ということがある。それでも失敗への対処はできるけれど、 なかなか広い視野の学びは生まれにくい。 失敗に対する恐怖や、もう失敗しないようにしようという心懸けは強化されるかもしれない。

それだと失敗が、自分を否定するだけのものになりやすい。

こわいものを観る

間違えた事実や「やばい!」と思っている感情をつかむことで、出来事と感情をそのままに感じることができるようになる。

やるといいのは、「自分はやばいと思ってるなあ」とか、「こわいと思ってるなあ」と、頭のなかで声に出してみること。そうすると、感情を自分の内側に引き戻すことができる。失敗をしてすぐというのは、感情や出来事を認めたくないので、自分からそれらを遠のけようとする傾向が強い。

感情や出来事を自分の中にもどしたら、身体の緊張をとらえる。

肩があがってないか。首が凝ってないか。ひたいはどうか。みぞおちはどうか。という風に。そうしていくなかで、失敗したという出来事は改めるべきことだと思いながら、すこしずつ余裕を取り戻すことができる。

視野が広がる。

失敗から学べること

失敗から学ぶことの大きなものを2つ書こう。もちろん仕事上の学びもあるだろうけれど、それはそれぞれの仕事や場所で学んでもらうしかないので、それ以外のことを書く。

1つは自分が間違うパターンを知ることができるということだ。自分が間違うパターンを知っておくと、事前に回避しやすくなるし、仲間との仕事なら、その部分を他者にチェックしてもらう仕組みをつくれると補い合うような良いチームワークと言えるかもしれない。

2つ目は、自分が予想外に陥ったときの身体の状態を知ることができるということだ。現代では非常事態が少ない。非常事態が多かったら困るけど、予想外の出来事に対処する力というのは、「生きる力」だと言ってもいい。

そういうときにどうなるのか知る機会をひとつずつ自分の身にしていくと、予想外に対する耐性が増していき、ゆとりや余裕のある人になっていくことができる。

失敗の捉えかたを広げる

最後に、失敗のとらえかたを広げるための考え方を2つ書いておきたい。

失敗しない人生

ぼくは失敗したほうがいいとは思わないけれど、死ぬときに「あの人は失敗しない人だった」と言われてもあまり嬉しくないのではないかと想像する。「あの人は無駄なことばかりしてたけど面白い人だった」という方が楽しいような気がする。

そりゃ失敗もせずに、無駄で面白いことができればいいけれど、それは難しいのではないか。面白いことは、今の自分を越えるような挑戦や無駄かもしれないもののなかにあって、そういうことをしようとすると失敗は避けて通れない。

失敗する人のゆとり。

何度も書いてしまうけれど、失敗した方がいいとぼくは思わない。ただ、失敗をしがちな人を見ていると、ゆとりを感じることがある。たしかにその人はもっと計画性をもって行動すればいいのかもしれない。ただ、すべてを計算して、これはこうだからこれが一番安いからこれにして、ってやることにはどこか窮屈さを覚える自分もいる。

失敗を受け入れながら生きている人は、「あなたも失敗したっていいんだよ」という暗黙のメッセージを伝えてくれているように思う。そういう人には人が集まってきやすい。

大きすぎる失敗でなければ、それが人との繋がりをつくってくれるということだってあるし、失敗をただ悪いものだととらえるのは、偏見なのかもしれない。

この記事を読んで、失敗のとらえかたがすこしでも広がっていただけたら嬉しい。