Jamais vu

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ありのままの自分になりなさいという圧力に悩まされないための読むクスリ1錠。

      2017/03/15

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ありのままの自分。ありのままありのままありのまま。良く聞く言葉だ。メディアでよく使われている。そう言ったり書いたりしている人自体がその中身をわかっているのだろうか?と疑問に思うことが多い。

この言葉は便利で、そう言っておくとなにか綺麗なことを言ったような感じがする。ただ、言っている人はそれほど考えて使っていないのが現状ではないだろうか。

たくさん使われれば使われるほど、その言葉に考えさせられ、自分はどうなのだろうと悩んでしまう人が増えるだろう。実際にそう相談されることは多い。そんな人の道しるべになるような記事を書きたいと思った。「ありのままの自分」という言葉が表す具体的な内容と、そこに近づいていくために実際にできることについて書きたい。

ありのままとは自然であること

「ありのまま」とはなんだろう。結論から書くと、それは「自然」であることだ。「不自然ではない」ということ。

不自然。それは自然ではないということで、それは人の手が入っているという意味だ。人の手が入っているものは、自然に見えない。

不自然さを感知する能力

不思議なもので、人には「人の手が入りすぎている」ものに気づく能力がある。とてつもなく微細な差異なのに、その差異を読み取り、違和感を覚えるようにできている。

最近、映画の撮影に関わっていて、映画の背景セットをつくるときがある。背景セットをつくるのはなかなか難しいもので、人の手が入りすぎると、不自然に見えるのだ。今の撮影は、芸術家が登場する映画で、アトリエのシーンがある。

筆やキャンバスや画材が並ぶアトリエを背景に俳優が演技をする。その背景となるアトリエを映画にとって良いものにしようと、人が手をいれる。

ただ手を入れすぎるとどこかで違和感を覚えるようになってくる。どこかに境界線があって、それを越えると自然さが失われ、「ありのままの日常風景」が失われてしまうのだ。

意図が入りすぎること

他にも、映画に関連して言えば、演じている人に違和感を感じるときというのは、やろうやろうと役者が考えてしまっていて、意図が観客に感じられてしまうときだ。いい演技というのは、その役柄が身体に/無意識に落とし込まれていて、意図が感じられないほど没頭されたもののことなのではないか。

踊りや華や衣服、あらゆることにそれは言えると思う。

人の意図が感じられてしまうと、人は「不自然さ」を覚えるようにできている。<不・自然>であると人は「ありのまま」だと感じられないのだ。

人が自然であるということ

それでは人自体に違和感がある状態とはどんな状態だろう。それは話す言葉、仕草、声色などに意図がこびりついてしまっているときだ。そういう人のことは「ありのまま」と感じられないのではないか。

反対に、意図の少ない状態のこと/こう観られたいからこうしようという意図が感じられない状態のことを「自然体」とか「ありのまま」と呼ぶのではないか。

ありのままに近づく方法

どうしたら「ありのままの自分」という自然な状態になれるのだろうか。その方法を書いてみたい。「ありのままでない自分」を感じてしまうときというのは、人とコミュニケーションをとっている時だと思う。コミュニケーション場面を想定して書いていく。

誰しも完全に自然な状態であることは難しい。というか、「自然」に 限りなく近づくことはできても 、完全に自然であることは無いのだと思う。

意識をコミュニケーションから逸らす

「自然」(ありのままの自分)に近づくには、コミュニケーションをとるときに、同時に他のものに意識を集中しつづけることだ。

たとえば、いまこの記事を読んでいるときにも、まわりで音がしている。それは空調の音かもしれない。車や電車の音かもしれない。

まずその1つの音に集中してみる。

音への集中を途切らすことなく、片手をゆっくり握ってみよう。そのとき注意することは、音へ意識をしつづけること。真剣にやろうとすると、かなり難しいことがわかると思う。他のことをしているとなかなか川が流れるようには意識しつづけられない。

意識を途切らさない

これと同じことを会話でもやってみる。

カフェで友達と話しているかもしれない。電車かもしれない。その場所でまわりの音をたしかめる。1つの音に意識を集中する。すると、すこし視野が広がるのがわかるだろう。音への意識をきらずにゆっくりと相手に目をむける。そしてゆっくりと言葉を発する。このとき大切なのは、何度も書いてしまうが、音とのつながりつづけたままコミュニケーションをとること。

やってみるとわかるが、最初はとてつもなく難しい、5秒できたら十分だ。

この時間が自分にすこしずつ「自然さ」や「ありのまま」を発見させてくれる。

コミュニケーションに意識をまわせなくする

人はなかなか2つのことに集中できない。1つのことに集中しているともう1つのことにまわす意識がなくなってしまう。そうするとどうしても意図を使えないのだ。

「ありのままの自分」に近づきたいなら、コミュニケーションのなかで他のものに集中してみることだ。そうしていると、コミュニケーションに割く意図を逸らすことができる。

はじめから不自然さや違和感を発見し、排除しようとするのは難しい。だからまずは意識を逸らしてみることで、自分の自然に近い状態を知って、いつも自分にひっついている意図を実感する。そうしてはじめて自分を変えていくことができる。

「ありのまま」でないとダメなのか

こんな記事を書いていながらなんだが、ぼくは「ありのまま」という状態が正しいのかどうか、正直よくわからない。誰しも、会う相手や、その日の環境によって、自分を変化させている。「ありのまま」という状態は本当にあるのか?とぼくは疑いながら生きている。人は誰しもキャラクターを微細に使い分けて生きているのだから。

それに、新しいことをしようとすると誰しも不自然になる。新しいことは意図しないとできないからだ。それを何度もやるうちに、あたらしかったことも自分に定着し、無意識にできるようになる。

「ありのまま」に悩まされないために

「ありのまま」という言葉はあまりに乱用されているように感じるし、そこ言葉に惑わされている人も多いのではないか。なので、その「ありのまま」をできるだけ具体的な手にとれる状態として分解し、それに近づく方法を書いてみようと思った。この記事で「ありのままの自分」という言葉に悩む人が1人でも減ってくれたら嬉しい。

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