Jamais vu

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対話とは議論ではない。気持ちよく対話をするための3つの秘訣。

      2016/01/21

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仕事で上司と話をしたり、取引先と話をしたりする。休日に知人と話をしたり、家族や異性と話をしたりする。

そういうとき、しばしばどちらかが自分の考えを押し通そうとしてしまうことがある。

議論は勝ち負け

そのようなとき、その場は議論の場になっている。勝ち負けを争う場。

そのような場が生まれると、相手の意見を聞くことの価値が失われてしまう。より感情的に、より洗脳的に、より圧力をかけて、相手をねじふせることが優先されるようになるからだ。

自分の考えを押し通そうとするとき、人は声が大きくなったり、質問とは全然違う返答をしたり、 相手の方を全然見ていなかったりする。

そこには正しさの暴力的な押しつけが感じられる。相手の意見に影響を受けた方が議論では負ける。より頑なな者が勝者となる。

極端かもしれないけれど、それが議論/ディベートである。

対話は勝ち負けじゃない

対話はそれとは違う。正反対だと言っていい。人と良い会話をしたいと思ったら、対話をするといい。

対話の場面には勝ち負けはない。対話の場では、自分と相手の意見が異なるとき、相手の意見の理由をじっくりと聴く。そして互いにその違いを認識し合う。

相手の意見をはねのけるのではなく、丁寧に受けとって返答するのだ。

違う意見を聴く

「自分の意見の矛盾を指摘するような意見」というのはあまり聴きたくないものだ。そういう意見をはらいのけてしてしまった経験はぼくにも何度もある。

でも、そうしていると対話にはならない。そうしてしまった瞬間に、相手が見えなくなり、消えてしまう。

「自分の意見を崩してくれるような意見」こそ受けとめるのが対話だ。受けとめられなかったとしても、すくなくとも無視してしまったことを自覚する。それが相手との対話の糸をつなぎとめてくれる。

人の意見を聞かない人

人の意見を聞かない人とは、「自分の意見の矛盾を指摘するような意見」を無視する人のことをいう。まだ指摘されてもいないのに、指摘される気配を感じた瞬間にそれをはたきおとすようにして、自分の言葉を重ねてしまうことだってある。

「どうしてそう思うの?」という言葉が、意見を聞けないときには失われてしまう。対話には「どうしてそう思うの?」が必要だ。

良い対話をするための方法

良い対話をするためには、相手を見ること、そして自分の反応に自覚的であること。意見は自分ではないと知ること。この3つが重要になる。

自分の反応への自覚

相手が言った言葉に対してどんな反応を自分が示しているのかを感じようとしていると、反射的に返答しないですむ。

相手から自分にとって嫌なことや不都合なことを言われたときというのは、自分の反応を感じられていないことが多い。

反応を感じられていないと、反射的に相手を否定してしまう。

不都合な感じをしっかり認識しておくと、相手に「どうしてそう思うのか。」と聴ける状態をつくりやすい。

もしその場では聴けなかったとしても、少なくとも自分のなかに自分はああ言われて嫌だった、という感覚は残るはずだ。ちゃんと自分の反応を自覚できていないと、ただただ相手を否定したい感覚だけが残ってしまうので、相手を憎む状態を導きやすい。

まずは相手の言葉に対して、うれしいとかかなしいとかわからないとか嫌だとか、その場で偽らずに自分の感じをつかもうとしてみることだ。そうしておくと、相手の意見をうけとめる状態ができる。反射的に反論したり、否定したり、無視したりする機会が少なくなる。

相手を観ること

相手の表情や言葉の声色などを聴くことも、良い対話には大切な要素となる。

議論は、「意見」という論理や言葉だけを聞いていれば成り立つかもしれないが、対話はそういうわけにはいかない。

相手がどんな気持ちで話しているのかも一緒に汲み取って返答できるといい。そのためには相手の表情や声色をうけとろうとすることだ。そう言っている本人はどんな気持ちなのか感じようとしてみる。

なかなか表情や声色に集中するのは難しい。人は言葉に気を取られやすいからだ。でもすこしでもいいから目の前にいる相手から情報を得ようとしてみる。そうすると、論理の応酬ではなく、目の前に存在する相手と話ができる。

意見は自分ではない

意見は自分ではない。意見とはだいたいが、友人や家族、本やテレビから教えてもらったもののはずだ。それなのに人は、意見を自分だと思いこんでしまうことが多い。意見を守るために周囲の意見を無視してしまう。

意見と自分はべつものだと一度でも認識しておくと、異なる意見も受け止めやすいだろう。

対話とは混じり合うこと

対話の本質にあるのは、相手を理解しようとすることだ。相手の意見の背景を理解しようとすることで、自分の意見とのあいだになにかが生まれる。

もし対話が自分の意見で相手を説得することだったり、意見の勝ち負けを決めることだったりするならば、2人で話をする意味がない。そこにはなにかが生まれる余地がないからだ。

対話とは、相手の意見の背景を知ろうとし、その先に自分たちの内側に存在しなかった何かが生まれることだ。だからといってそれを完璧にやらなきゃいけないわけでも、なにかをいつも生まないといけないわけでもない。「自分は相手の意見を無視してしまっていないか?」と考える姿勢でいようとすることが対話なのだと思う。